♦♦♦♦♦♦♦♦♦ 国際結婚で台湾在住、柴犬3匹との台湾生活を綴っています。あっという間に台湾11年。  ♦♦♦♦♦♦♦

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ここらで南投県の話に再度戻りましょう。

kanban.jpg



南投県の「埔里」から「霧社」にかけて車を走らせると、両側を険しく高い奇岩に挟まれた道路上に黄色い看板が見えてきます。

『人止関』  

"人止関"とは警告の意味を含んだ地名です。(看板は最近新しくしたもの)

海拔1,148mに位置する霧社は、中央山脈の渓谷を見下ろす脊稜の台地に在り、山々が深い濃霧がかかる事からその名前の由来にもなっています。
昔、この一帯は、多くの原住民族が集っていました。
特にこの周辺はタイヤル族とブナン族の「居住狩獵地域」でもあった為、度々平地人が開墾で山まで侵入して来ると、原住民との諍いが絶えなかったようです。これを受けて清朝の時代の統治者が、ここに「漢人止歩」の意味として「人止関」を設け「万が一彼らの土地に足を踏み入れたならば命の保障はない」として漢人と原住民の境界線としました。
(当時の原住民族には首刈りの習慣があり、かなりの漢民族などが被害にあっている)
1902年に日本から派遣された調査部隊14名が全員殺害される事件を受け、当時の日本政府の原住民への「帰順」が強まったと言われています。
高く険しい奇岩に両側を挟まれたこの場所は、霧社事件のリーダー莫那魯道達が事件後の抗争で死守した砦だとも言われているのです。
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この場所はバス亭がひっそりとあるものの、険しい山に囲まれて、行きかう車の速度も速く、殆どの人が通り過ぎて行くだけです。記念碑にはめ込まれた石版の一つ(左)が盗まれたのか、壊されたのかありませんでした。

iseki3.jpg


iseki2.jpg


台湾の資料でもよく見かける当時の原住民の暮らしの写真を石版にしたものが貼られています。一番下は刺青を入れている(顔に刺青を彫る習慣がある民族も)絵です。

hashi02.jpg


この人止関の左側には使われなくなった橋【仁愛橋(ちょっと渡るの怖い)】が雑草がかなり生い茂りながらも依然と残されてます。

夫Hは何も気にせずズンズン奥まで進んでいきました。^^

hashi2.jpg


橋の下を見下ろすと殆ど手付かずの河が見えます。上はものすごい断崖絶壁の岩が迫り出し、イノシシでも出てきそうな雰囲気です。
確認した夫曰く、この橋の向こう側は、ゴミが捨てられて汚いものの、岩の上まで続く人が通れる獣道があるようですが、さすがにそこまではよう行きません。^^;

kawa.jpg


中華民国26年に出来たという事は、今から70年程前です。
少し前の台湾サイトでは、まだまだ綺麗に手入れされていた様子だったのですが、雑草も生い茂り、ゴミも多く捨ててありちょっと残念でしたね。

taiwan.jpg


一面見渡す限り山と岩に囲まれたこの場所に立つと、誰かに見下ろされてるような錯覚に陥ります。
つい数十年程前にさまざまな事件があった場所にしては、
それを見に来る観光客もおらず、まるでほおっておかれたような寂しい印象を受けました。




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2008.04.02 / Top↑
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