♦♦♦♦♦♦♦♦♦ 国際結婚で台湾在住、柴犬3匹との台湾生活を綴っています。あっという間に台湾11年。  ♦♦♦♦♦♦♦

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4月末のことになるのですが、私が「アマー」と呼んでいた、主人の祖母が亡くなりました。


あれは台湾旧正月の時だったでしょうか。

美容院に髪を切りに行ったアマーが
「散髪が終わったら迎えに行くから待っていなさい」
という祖父(アーコン)の言葉を無視して、一人で帰路に着いてしまい、転んで腕の骨を折ってしまったのが前兆でした。

やはり年老いてくると、少しの怪我から大事に至るものです。

それから急激に体調を崩し、集中治療室に運ばれてからは、身体中に管がつけられ、年齢的にも体力の限界が見られ、担当の医師から「もうまもなく・・・・・」と宣告されたのを境に、皆で相談しあって、自宅に連れて帰ることになりました。(医師と看護士同伴です)

自宅に連れて帰ってからちょうど3時間後。

再度危篤状態に陥ったアマーは、長男である伯父が管を(医師の指示の元)外し、自宅で息を引き取りました。


御年83歳でした。


いまだに「死の尊厳」について論議が絶えない、高齢者を抱える日本でも「自宅」か「病院」か自分の最後の場所が選択が出来ると聞いています。
ただ、たとえ本人が自宅で最後を迎えることを望んでいたとしても、家族の事情等、様々な要因で8割の方が 結局は病院で最後を迎えていると雑誌で読みました。

台湾の全ての人にリサーチした訳ではないのですが、私が聴いた話では、まもなく・・と宣告された病人を自宅へ連れて帰り、最後を看取ったという家庭が殆どでした。

台湾人の家族観、価値観からすれば、これは総じて自然な流れに思えてきます。

病気の状況や自宅の状況、故人の遺志に応じて変わってくるとも思いますが、家で生まれ、家で亡くなるということが人間本来の在り方なのかもしれません。


亡くなってからその2日後に、私達はお別れを言いにアマーの家へ向かいました。

アマーの訃報を受けて、オーストラリアに住む叔母も急遽駆けつけ、空港で合流です。

この叔母さんはピン子率いる6人兄弟の中の一番の末っ子で、ついこの前も台湾に里帰りをしていたばかり。その時にも、毎日病院に通い続けて、母親の回復を信じながら看護していました。 それだけにかなり辛かったことでしょう。


海外・外国に住むと言う事は、 親の死に目に逢えないかもしれない、というある種の覚悟がいるのかもしれません・・・・。


車の中では何を喋っていいのかわからずで、三人共ありきたりな世間話のみ話すと沈黙してしまいました。

自分は叔母さんをみていると、日本の家族をダブらせてしまうことがあります。

日本の家族が、それとも自分の家族が、もし離れた場所で死んでしまったらどうする??と。

自宅に到着後、

オーストラリアの叔母さんが最後のお別れができるようにと、棺はガラス系の冷蔵式のものを使用しており、私と主人もアマーの安らかな寝顔をみてそれを最後のお別れとしました。


日本の方式とは全く違い、大きな祭壇の後ろに設置された黄色い仏教系の布で囲われたスペースにアマーのお棺が置かれてあります。もちろん誰でも会えるわけではありません。

そして通夜で線香をあげる時は、自分からお線香に火をつけるのではなく、必ず家人が先に線香に火をつけ、それをお参りする相手に渡すのだそうです。

いつもとは打って変わって憔悴したピン子ママが遺影に向かい

 「ママ、うちの日本人嫁のreachiaがアマーに会いに来てくれたよ。」 

と台湾語で話しかけ、お線香をもらいました。

アマーこと、台湾のおばあちゃんは中国語が喋れず台湾語しか話せない人でした。

なので私は今まで通訳を介してしかアマーとまともに会話した事がなく、そのことが心残りで悔しくもありました。



アンシー アマー。  ザイゲン、台湾的アマー。
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2007.05.14 / Top↑
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