♦♦♦♦♦♦♦♦♦ 国際結婚で台湾在住、柴犬3匹との台湾生活を綴っています。あっという間に台湾11年。  ♦♦♦♦♦♦♦

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夫の祖母が4月末に永眠してから一ヶ月が過ぎました。

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ようやく先週の金~土曜日の二日間にかけて告別式を含めた葬儀が執り行われました。

台湾は亡くなってから火葬まで1ヶ月も期間がありますが、仏教系の台湾家庭では至って普通の風習です。

それまでの間に故人に面識のあった人たちがゆっくりと最後の別れに訪れます。仏教の考えにおいては、死後何日か毎になると、故人の魂の位(くらい)が上がっていき、順を追って告別式まで讀経を行う為でもあります。

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上に位が書かれていて、泰山王の時に火葬して送る。


とはいえ

「そんな長いこと遺体を置いてどうするの??腐るやないの!」

と日本の母親がびっくりしたのも、無理もありません。^^; 日本では亡くなってすぐに葬儀されますから。

アマーは冷蔵タイプのガラス棺から、本人の一番気に入っている服を着せられて、木棺に移されます。
木棺に移ると隙間をすべて埋めるべく、釘で四方八方打ち付けられるので、ご対面することは出来ません。
棺は祭壇の後ろに設置されたスペースに黄色い布で囲まれ、誰にも見えないように告別式まで置かれていました。

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木棺の中に収められたお札で作った元宝(右)と、棺の上に掛けられた赤い布に貼る蓮の花(左)。 どれも極楽へいくのに困らないため。


宗教や宗派、またそれぞれの家庭によって葬儀の仕方は違うと思いますが、今回は夫である祖父(アーコン)の意見を第一に取り入れて、仏教に基づいた台湾の伝統的な葬儀方法で執り行われました。

私は今までこちらの葬式に出席したことが無かったので、親族として参加することに非常に不安でしたが、すべてが無事に終わってから思ったのは、思っていたよりも、めちゃくちゃ複雑だった!
という感想です。

こちらでは長男や長女、長男の嫁等、それぞれ置かれる立場によって葬儀の役割が分かれており、その都度覚えることが多くて大変。

それは告別式の前に行われた、故人の息子達と娘達が代表となって別々に行った法事から始まります。私はアマーの次女であるピンコママ側の息子嫁ですから、叔母さん達で行っていた法事に参加したのです。

この法事の段階から、喪に服する服装に着替えるわけですが、台湾伝統的な葬儀方法では、白い頭巾を頭に付け、白い服の上から麻布で出来た服を身に纏い、白い靴に白い靴下をまといます。(又故人との関係によって服装が変わる)

untitled_20080414181018.jpg:写真は参考資料

祖父(アーコン)と義理の伯父達が話し合った結果、夏なので、着るものについては、そこまでしなくても良いということになり、上下を黒い服(暑いのでTシャツ、ポロシャツ等と黒ズボン)で纏め、その上から中国式の黒い法衣を纏うことにしました。

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この他に法事、葬儀でしてはならない服装、格好を義父から聞きました。

目出度い象徴とされる 赤いもの は身に付けてはならず、髪が長い者はちゃんと纏めねばならない。

踵が少しでも高い靴は履いてはならず、黒い靴でも革靴はNGになる。(白いスニーカーはOKらしい)
いとこ達は夜市やスーパーで100元で買った(^^;)巧夫靴、いわゆる太極拳用の黒い靴を履いていました。


息子である伯父さんやその長男は、葬儀まで髭を剃ってはいけないようで、皆さんロマンスグレーのお髭をながーく伸ばしていました。伯父さん達、剃らないほうがずっと男前に見えたけど。

そして身内は皆、右手首に青のリボンを通した硬貨をくくりつけます。(長男の家系は白いリボンになります)
そして右腕に喪家を表す意味の喪章として小さく切った麻布を安全ピンでとり付けるのです。

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さて叔母さん達が行う法事の朝、お寺の住職と讀経の女性5人、そして演奏者1人がやってきました。
このメンバーと共に朝11時から晩1時まで30分から1時間の休憩を挟みながら何度も何度もお経を読み上げるのです。

演奏者??何を演奏するの?とお思いの方もいるかと思います。
仏教音楽をお聞きになられている方だと大体知っていると思いますが、読経に合わせてオルガンを弾き、楽器を鳴らすためなのです。

日本人が見ると、しめやかに行われるはずの行事でも、音だけ聞くと何かにぎやかに聞こえてきて葬儀の法事には見えないでしょう。^^;

身内でお経をずっと読み上げるだけ・・・といっても、ただ読むだけではありません。

僧の指示で、共に立ちあがったり又座ったり、線香を持って読経したり、膝まずいたり、お辞儀したり・・・・・・・・、百数十回も同じ動作を繰り返しました。 普段から腰の悪い義父は体の調子を悪くしてしまい、「私達の時はこんなことはさせないから」とちょっとブツブツ言っておりました・・・^^;。

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お昼は台湾料理のケータリングでアーコン家の裏ガレージに、簡易的円卓テーブルを作ってもらい住職や親族とともに食事をとります。

お坊さんは全員素食だと思っていたけど、この葬式担当のお坊さんは違うのか、バリバリ生臭ものを食べてましたねえ。^^;いいのかしら?

昼食が終われば、また長い讀経と「問いかけ」が始まります。

アマーは生前も台湾語しか喋れなかった為、中国語での葬儀では故人が聴き取れないと言う事で、全て台湾語のみで行われていました。

台湾語がわからない外国人には結構大変です。

儀式の途中、僧から座っている私達に対して台湾語で

「アマーはあなた達に幸せを与えてくれましたか?」

等の語りかけがあるのですが、遺族がそれに合わせて台湾語で返答する箇所がかなりありました。台湾語のできない私はしょうがなく口パクです。

お経は日本と同じ内容の「阿弥陀仏経典」だったのですが、それも故人がわからないということで、漢字を全て台湾語に変えて読むため、南無阿弥陀仏経を覚えている私が読んでも目で追うだけで精一杯。

それに、全てのお経が全て台湾語に充てることは出来ず、いくつかの漢字が仏教界で独自に造られた台湾語読みになっていました。これには台湾語に流暢な義父でも読めない字があって参ったよ!と後で話していました。

故人の子供達が男女に分かれてそれぞれ行うこの法事、詳しいことはまだよく理解していないのですが、私が参加した法事の時は、娘がが故人である母親に最後の食事を食べさせてあげるという儀式があって、豚、鳥、魚と共に別に12菜を作ってお供えしていました。

そして娘の法事は、泣かない長男達に代わって感情のままに激しく泣いてもいいという意味があるようで、最後に叔母さん達はお棺の周りでずっと泣いていました。

逆に娘のいない家庭では、泣く人をわざわざ雇う場合があるそうです。(そういえば知人でこういうバイト経験のある人がいました。^^’)

義父 「男はあまり泣いてはいけないというか、昔はそういう風習があった。それに台湾人は何かにつけて感情のままの人が多かったが、今では公にも泣かない人が増えてきたからね。」


法事の役割とはいえ、姑が号泣しているのを見ると、声をかけて慰めずにいられない。

嫁姑のわだかまりの気持ちさえも、この葬儀とともに溶けていくような気がした。


続く~

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2007.05.31 / Top↑
本日5/15は結婚記念日。

2004年の5月はじめに台湾に上陸し約10日後に結婚し、それからあっ!という間に丸3年が経った。


よそのご家庭は記念日にどう過ごされているのかわかりませんが、実は私は一度も夫から花束をもらった事がない。テレビでプロポーズされた時だけかも。

まわりの友人達が

「夫から大きなお花をもらったの」

と聞くたびに

それとなく、わざとらしく

私 「○○ちゃんが花束もらったってよぉ~」

と伝えるのですが、やっぱり彼は手ぶらで家に帰ってきて

「あ、ごめん!reachia!バイク屋に修理に寄ってたら忘れちゃった。」

と謝っていう。

彼に悪気はないので、しょうがない、もういいか・・・!と済ます私なのだけど。

いつも記念日には夫の好きなステーキを焼いて、スープやサラダなどフルコースで準備して
コーラと白ワイン(酒は私)を冷やして待っている私。


でも一輪だけでもいい、女は花をもらいたいという願望があるのだ。


今日こそは手ぶらで帰って来ないことを、ちょっぴり祈っておりましたら

いつもの帰宅時間より30分くらい遅れてチャイムが鳴りました。

「もしかして。。。。。」

期待してドアを開けると、

「ちっちゃいけどごめんね。結婚生活も3年、ありがとう」

と、真っ赤なバラを持った夫Hがそこにいました。^^

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「実はこれ100元だったんだけどね。」

とかなり余計なコメントを加えつつもw、夫に感謝でした♪
2007.05.15 / Top↑
4月末のことになるのですが、私が「アマー」と呼んでいた、主人の祖母が亡くなりました。


あれは台湾旧正月の時だったでしょうか。

美容院に髪を切りに行ったアマーが
「散髪が終わったら迎えに行くから待っていなさい」
という祖父(アーコン)の言葉を無視して、一人で帰路に着いてしまい、転んで腕の骨を折ってしまったのが前兆でした。

やはり年老いてくると、少しの怪我から大事に至るものです。

それから急激に体調を崩し、集中治療室に運ばれてからは、身体中に管がつけられ、年齢的にも体力の限界が見られ、担当の医師から「もうまもなく・・・・・」と宣告されたのを境に、皆で相談しあって、自宅に連れて帰ることになりました。(医師と看護士同伴です)

自宅に連れて帰ってからちょうど3時間後。

再度危篤状態に陥ったアマーは、長男である伯父が管を(医師の指示の元)外し、自宅で息を引き取りました。


御年83歳でした。


いまだに「死の尊厳」について論議が絶えない、高齢者を抱える日本でも「自宅」か「病院」か自分の最後の場所が選択が出来ると聞いています。
ただ、たとえ本人が自宅で最後を迎えることを望んでいたとしても、家族の事情等、様々な要因で8割の方が 結局は病院で最後を迎えていると雑誌で読みました。

台湾の全ての人にリサーチした訳ではないのですが、私が聴いた話では、まもなく・・と宣告された病人を自宅へ連れて帰り、最後を看取ったという家庭が殆どでした。

台湾人の家族観、価値観からすれば、これは総じて自然な流れに思えてきます。

病気の状況や自宅の状況、故人の遺志に応じて変わってくるとも思いますが、家で生まれ、家で亡くなるということが人間本来の在り方なのかもしれません。


亡くなってからその2日後に、私達はお別れを言いにアマーの家へ向かいました。

アマーの訃報を受けて、オーストラリアに住む叔母も急遽駆けつけ、空港で合流です。

この叔母さんはピン子率いる6人兄弟の中の一番の末っ子で、ついこの前も台湾に里帰りをしていたばかり。その時にも、毎日病院に通い続けて、母親の回復を信じながら看護していました。 それだけにかなり辛かったことでしょう。


海外・外国に住むと言う事は、 親の死に目に逢えないかもしれない、というある種の覚悟がいるのかもしれません・・・・。


車の中では何を喋っていいのかわからずで、三人共ありきたりな世間話のみ話すと沈黙してしまいました。

自分は叔母さんをみていると、日本の家族をダブらせてしまうことがあります。

日本の家族が、それとも自分の家族が、もし離れた場所で死んでしまったらどうする??と。

自宅に到着後、

オーストラリアの叔母さんが最後のお別れができるようにと、棺はガラス系の冷蔵式のものを使用しており、私と主人もアマーの安らかな寝顔をみてそれを最後のお別れとしました。


日本の方式とは全く違い、大きな祭壇の後ろに設置された黄色い仏教系の布で囲われたスペースにアマーのお棺が置かれてあります。もちろん誰でも会えるわけではありません。

そして通夜で線香をあげる時は、自分からお線香に火をつけるのではなく、必ず家人が先に線香に火をつけ、それをお参りする相手に渡すのだそうです。

いつもとは打って変わって憔悴したピン子ママが遺影に向かい

 「ママ、うちの日本人嫁のreachiaがアマーに会いに来てくれたよ。」 

と台湾語で話しかけ、お線香をもらいました。

アマーこと、台湾のおばあちゃんは中国語が喋れず台湾語しか話せない人でした。

なので私は今まで通訳を介してしかアマーとまともに会話した事がなく、そのことが心残りで悔しくもありました。



アンシー アマー。  ザイゲン、台湾的アマー。
2007.05.14 / Top↑
昨日は本当に暑かったの。

毎週末は曇りか雨に遭うという運気にしばらく慣れていたので、当分は雨が降りそうに無いからか、このところの台北気温はかなり高い。

台湾の初夏日差しに野良犬もかなり参ったらしく、涼を求めて学校の図書館前に来ていた。

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自動ドアが開くたびにクーラー風が洩れるナイスな場所を陣取ってお昼ねだ。w

よほど風が気持ちよかったのか、女の子なのに大また開きで爆睡ポーズ。台湾の犬に対してのこういうのんびりさ加減が大好きさ。


この暑さの中、勢いでクラスメートと表ヨンカンへマンゴーカキ氷を食べにいった。


今では観光客御用達のマンゴーカキ氷で超有名なピン館。

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だけど昔に比べて一回りお皿が小さくなっていて、気のせいか量も少ない。値段もあがっている。


(ここも利益優先になったか・・・・・)


でも味は変わらず美味しかった。(マンゴーアイスクリームが美味)


これからの季節、氷を食べても体に熱がこもるのか、なかなか冷えない。

常に日焼け止め、傘(日本の布日傘は役に立たないよ)、サングラス、ミニタオル、ミネラルウォーターはお出かけに必須だ。


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2007.05.12 / Top↑
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上の写真を見て 『あっ、これは!』

と思わず頷いてしまった方は、ズバリ台湾ローカル通!

この広告紙を折って作ったゴミ箱は、(拉 土及 盒)、殆どの台湾家庭でお目見えするものだ。
(日本でも折って使っている家庭あるみたいですね^^)


食事時に骨付きの鶏肉や魚一匹丸ごと揚げたものを食すことが多い台湾家庭では、
毎日大量の「ガラ」がでるというわけで。

そのうえ台湾は言わずと知れたフルーツ国。

当然、フルーツ食べ終わると種がでますよね。

家族団らんで集まって食べることが多い台湾。リビングに人が集まった時には、必ず何かしらツマミやら、豆系のお菓子やらが山盛りでテーブルに並ぶので、そのゴミ入れでもあるんですね。


以前、ピン子ママも果てしないほど大量の広告を前にして一生懸命もくもくとこれを折ってたっけ。

ママから大量に(200個くらいか?w)いただいたのに、あまり使わないので3年前いただいたその紙ゴミ箱をまだ箪笥の肥やしにしている私。

実は我が家にはこの広告で折った紙ゴミ箱に、ちょっとしたエピソードがある。


遡ること数年前。

夫Hが初めてデザイナーとして就職した会社で、初めて自分の手がけた商業広告が出来上がりました。 夫Hは嬉しさのあまり、会社から記念として数十枚ほど譲ってもらい、早速実家に持って帰ってピン子ママとパパに初仕事を見せたそうな。

そして1週間後・・・・・

家族でアーコン(祖父)の家に遊びに行く機会があったので、アーコンと共に夫Hがフルーツを摘んでいたら、目の前に置かれた紙ゴミ箱がど~~も気になる。汗

夫H  「あれ?このゴミ箱・・・、どっかで見た事ある広告紙使ってるな・・・・・・・って、コレ、初デザイン記念にとっておいた僕の広告じゃん!!」 

アーコン 「あー、それなあ、お前の母さん(ピン子)が持ってきたわぁ。」

夫H 「ちょっと!母さん!なんで僕の記念品をゴミ箱にすんのさっ!」


ピン子  「だって、どうせこんなの いらなくなるじゃん。」 


夫は今でもこの紙ゴミ箱を見ると思い出すそうです・・・。気の毒っ 笑
2007.05.03 / Top↑
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